インターネットの話ではなく、インターネットで出来ることの話。

この本は2001年に出版されて、十年以上経った今その内容が現在の状況を言い当てているようだということで、新たに見なおされている本。「まるで、予言の書!」という帯の煽り文句にまんまと煽られて買った。糸井重里さんの本はほぼ日ブックスなどを元々好きで読んでいたので、煽られてであろうがまだ読んでいない糸井さんの本を読めることが嬉しい。

内容は確かに今の時代が予見されているかの様で、著者の先見の明はすごいと思う。この本が書かれた時はどれくらいインターネットが浸透していたんだろう、著者はどんな状況の中でこの先見の明を発揮したんだろう、ということばかり考えてしまいそうだが、そこら辺はあまり本質的な事では無いと思う。この本を読んで考えるべきはそこでは無いような気がする。

もうインターネットの無い世界は想像できないくらいにインターネットが当たり前になっている。この本を読むと、今では当たり前になりすぎて意識していないことを確認できた。そうすると、インターネットを使うことの肝というか、こういうところが良くて使っているんだという事が分かると思う。

有用な情報をシェアすることは、リツイートとかいいねとかでやりやすくなっている仕組みが整っている。ただ、本当に有用な情報が多くシェアされて目につくようになっているかというと、そうでは無い気がする。例えばタイムラインに広告とかが挿入されて不満に思うときもある。色んなものが入り混じるのがインターネットの一面だとは思うけど、シェアする・されることで溢れる情報の中身は自分なりに感想を持ちたい。

本の途中に出てきた、個人的に好きな著者の表現を引用。

価値の三角形はバタンと倒れて、平ら(フラット)になり、そこではそれぞれの人が自分の優先順位を大事にしながら役割をこなしている。

空高くそびえ立つ三角形が薄いベニヤ板で、それがバタンと倒れて後には平らな領域が残るアニメーションが容易に想像できて楽しい。

消費のクリエイティブのところでは、人工知能のことを考えた。クリエイティブって確かに生産の方で発揮されるイメージがあって、人工知能に期待があつまるのは、このクリエイティブなところを考えついてくれるんじゃないかと思っているからだと思う。そして、人間の代わりに頭を使ってくれそうだと思っている。だけど結局消費の方のクリエイティブは残る気がするし、そこは本当に人間が考えないと意味が無いところだと思う。

著者の本を読むといつも、こんな風に考えられたら楽しいだろうなあ、とか思ってしまう。でも羨ましいからと言って同じ考え方をすることは出来ない。羨ましがりながら自分なりの考え方を持っていたいと思う。


memom

都内在住会社員。 物心ついた時から読書好き。 読んだ本を忘れない様につらつらと感想を書いていきます。

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